●一昔前の銭湯とは違う!
「今ある資源を次代につなぎたい・・・」
これが私たちの大事にしているところ。
でも、つなぐためにどんな努力や工夫が必要か?
「古き日本」というべき公衆浴場を、
現代に適応させる『仏生山温泉』からヒントをいただけそうです。
公衆浴場=ダサくない!?
香川県高松市の仏生山(ぶっしょうざん)という地域に、
有名建築家が建てた軽井沢の別荘!?
はたまた、成功したクリエイターのオフィス兼自宅!?
と思ってしまうような公衆浴場があります。
周りに明かりが少ない分、夜になると仏生山温泉はひときわ輝いて見えます。
その名は『仏生山温泉』
正面から見ると、建物は真四角。
そして大きな大きなガラス張りの窓が並んでいます。
まったくもってまず外観が今まで行ったことのある公衆浴場と異なるこの「仏生山温泉」。
一体どうしてこんな公衆浴場が存在しているのか!?
その理由を知るため、仏生山温泉を経営する岡昇平さんにお話をお伺いすることに。
「温泉の普段の経営はほぼ奥さんがしているんです。
私は建築家なので。
個人の住宅などを設計するのが本業です。
ちなみにこの温泉も私が設計したもので。」
なるほど!
普通の公衆浴場にない洗練された感じは、
建築家でもある岡さんが設計したからこそだったんですね。
フロアに置かれている机やベンチにも岡さんがデザインしたもの。
ちなみに岡さんはここ仏生山生まれ。
大学卒業後、東京の設計事務所を経て、地元に戻り独立をしました。
今も現役で多くの住宅を手掛ける建築家さんです。
そんな建築家である岡さんがなぜ温泉の経営者となったのでしょうか?
「僕の祖父と祖母は旅館をしていたんです。
父は小さい頃から旅館のお手伝いでお風呂焚きをしていたんだけど、
それがすごく嫌だったみたいで(笑)
温泉が出てきたらどんなに楽だろうっていう思いを、
子どもの時から50年以上持ち続けていたんです。」
仏生山温泉では、こうしたユニークなパッケージの商品も数多く置かれています。
ちなみにこれは香川の特産品である和三盆。
50年以上も温泉を掘りたい!と思っていたというお父さん。
子どもの頃のお風呂炊きがよっぽど嫌だったんでしょうか(笑)
「ある時、仏生山に高松クレーターっていう隕石か何かの大きな穴ができたんです。
そのせいで温泉が出るかもしれないって話を父が聞きつけて。」
ちなみに、1988年に見つかった高松クレーターとは、
直径四キロ、深さ二キロほどのおわん型のくぼみ。
実際、なぜこのくぼみができたかは、まだよく分かっていないんだとか・・・。
と、プチ情報はこれくらいにして、引き続き、岡さんのお父さんのお話へ。
「それから本当に温泉を掘る話を進めちゃって、
家族の反対を押し切ってついに掘り出したんです。
僕は当時東京にいたんですが、気が付いた時にはもう掘ってましたね。
幸運にも温泉が出たからいいものの、あの時出なかったら今頃どうなっていたことか。」
お父さんのとんでも行動に苦笑いの岡さん。
でもそうして出た温泉は、温度・水量・水質ともに最高のものだったそうで。
お父さんの執念の賜物といったところでしょうか。
開放的な露天風呂。昼は太陽の光、夜は照明の優しい光で包まれます。
偶然にも、温泉が出た頃というのは、岡さんがちょうど地元に戻ろうと考えていた時。
お父さんとお母さんは宴会場を経営していたので、
岡さん夫婦が温泉の経営者となることになりました。
そうして岡さんの建築家と温泉経営の二足のわらじ生活が始まったのです。
後編ではそんな岡さんが手がける温泉が一体どんなものなのか、
具体的にご紹介していきたいと思います。