京都の虎屋菓寮に和服姿で現れた安丸宗作さん。
「日本の伝統文化を楽しんでもらいたい」と、
お茶、お香、ZEN、和菓子などを学べる
『ならいごとの十色』の運営等を行う
武士株式会社の経営者です。
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安丸さんは、日本の文化は本当にすばらしいとおっしゃりますが、
そもそもどうして日本文化に興味を持たれたのでしょうか。
「まず夏目漱石に熱中しました。
彼の日本語は本当に美しいのです。
それから大学時代には茶道に熱中しました。
その時に、忘れられない原体験があります。
周囲に苔むした岩があり、
その中で一輪の花を活けている写真がありました。
私はそれを見たときに急に涙がこぼれてきたのです。
自然の中に人の手間がすこし加えられたことで生まれる美しさ。
こんな美を伝えていきたいと思っています。」
ちなみに安丸さん、
大学ではロケットの研究していたそうです。
大学卒業後はコンサルティングファームに入り、
激務の中で鍛えられました。
「眠れるのは通勤と帰宅のタクシーの中だけでした。
昼も夜中も休日も関係なく、
仕事漬けの日々でした(笑)」
そして、仕事の力を身につけたと感じたタイミングで退職し、
ご自身の会社を立ち上げました。
ところが経営でつまづきます。
急な事業拡大で借金は膨らみ、社内では内紛が起こり・・・
結局、事業の整理を余儀なくされ、
苦しいときを過ごしたといいます。
「赤字の会社の社長のつらさが分かりました。
存在意義がないというか・・・みじめでしたね。
コンサル会社で鍛えられ、自信はあったのですが、
コンサルティングと経営では仕事のやり方がちがいました。
倒産してバンザイしたほうがどれだけ楽だろうかと、
何度も思いました・・・」
そんな苦難にどうして耐えることができたのでしょうか?
「時間が解決してくれた面はあります。
耐えていたら少しずつ良いことが起こってくれました。
そしてなにより、
根底にあった『これがやりたい!』という気持ちが
支えてくれたのでしょう。
国の柱は政治と文化と経済だと考えています。
前の二つの分野で活躍するためにはお金や血筋がないと難しい。
でも経済は別です。
だから僕は経済の分野で生きていくことを決意したし、
経済を通じて『未来の伝統を創る』と思いました」
思えば、いまある伝統文化は
経済によって育てられてきたケースが多いと思います。
たとえば、資金力のあった加賀藩がい
くつもの伝統工芸を加護してきたり。
祇園祭だって呉服屋の儲けを
社会に還元するためにはじまった意味もあったとか。
そんな安丸さんですが、
いかにして日本文化を広めようとしているのでしょうか?
「それだけ単体ではなく、
掛け算じゃないとむずかしいと思うのです。
たとえば、和菓子。
和菓子が歌舞伎座に置いてあるのは当たり前でしょう。
でも、それが新国立劇場に置いてあって、
「オペラ×和菓子」となれば
可能性は大きくなるのではないでしょうか。
出演したアーティストが本国に持ち帰って、
そこから広まることだってあるかもしれません」
なるほど。
ただ、京都は保守的で、
そのような新しい取り組みを好まない気がします。
「たしかにそういう一面はあります。
ただ、京都は小商いでありながら
グローバルな面もあったりするのです。
たとえばお茶の家元がひいきにしている、
暖簾を出していない350年続く扇子屋があります。
そこは顔の見える範囲で商売をしています。
一方で、フランス人シェフが京都にやってきて
『有次(ありつぐ)で包丁を買いたいから連れて行ってくれ』
と名指しされるような、
グローバルにリーチできている店もあるのです。
地域循環も大切だと思いますが、
海外に商品やサービスを売れることには夢があります。
僕には、今の若い方々が見たことの無い夢を見せたい、
という思いがあるのです」
さらに安丸さんは語ります。
「日本の文化には可能性があります。
建築における光の入れ方のような“人と自然の和”。
お客様との想い出を表現した和菓子のような
“人とモノとの和”。
調和を取りつつリーダーシップを発揮するような
“人と人の和”。
和をもって人を幸せにすることができると信じています」
こう語る安丸さんは、
インドネシアに和菓子を広めるプロジェクトも進めているとか。
私たちは、自分たちの持ち味である日本文化を見直し、
もっと活かしていくべきなのでしょう。
安丸さん、ありがとうございました!
(おわり)